中国東北部スタディツアーの添乗報告

 8月19日~24日に中国の大連・旅順・瀋陽・ハルピンに行ってきました。

日本軍の侵略戦争の歴史と平和を考えるをテーマに、大連では第一次世界大戦の激戦地、旅順の203高地、東鶏冠山などを見学。撫順では、平頂山惨案遺址記念館、戦犯管理所旧址。瀋陽では、9・18歴史博物館。ハルピンでは侵華日軍第731部隊遺跡を見学しました。

 

 

 行く前に知り合いにお勧めされた「満州裏史」を借りて読むと、何度か大連の旧ヤマトホテルが登場するシーンがありました。ここのホテルは老朽化が進み去年クローズしていて外観のみしか見学できないと出発前に言われてましたが、なんと!!たまたま先週から1階のカフェのみオープンしているではないですか。早速皆さんとロビーに入りコーヒーを飲みました。往時を思い飲むコーヒーは格別でした。

 旅順には見どころが沢山あり、旅順博物館、203高地、旅順監獄、東鶏冠山など1日みっちり見学しました。写真にある東鶏冠山の外壁は、日露戦争当時、ロシアの要塞に打ち込まれた砲弾の跡です。

 大連は、魚介類も豊富なのと味付けも良くぺろりと平らげてしまうほど美味しかったです。東北地方は、満州時代の影響?なのか甘から味の料理が参加の皆さんの胃袋を満たしていました。とういう添乗員の私も体重増でした(笑)

 大連から瀋陽に向かう新幹線(2等)に乗りました。駅に入るにも手荷物検査をし、パスポートも提示する徹底ぶり。

 撫順にある戦犯管理所旧址。シベリアに抑留されていた日本人や最後の皇帝溥儀も収容されていました。写真は溥儀が過ごしていた室内。暖房設備や奥にはトイレもついています。

映画「ラストエンペラー」では、冒頭のシーンにここの撫順戦犯管理所旧址が写しだされています。

 平頂山惨案遺址記念館。壁にはびっしりと当時犠牲になった方の名前が刻まれています。写真撮影はできませんでしたが、おびただしい数の人骨が当時のまま残されていました。

<平頂山事件とは。。。1932年9月16日、中国東北部の炭鉱都市、撫順近郊の平頂山集落で、日本軍が非戦闘員である中国人住民3,000名余りを虐殺した事件>

 

 9・18歴史博物館。日本では、なかなかこの数字にピンとこない方も多いですが満州事変(柳条湖事件)のあった日付が9月18日。日本軍が侵略していった流れや731部隊での再現シーンなどがマネキン人形を使って展示してありました。

 夏休みの期間中で、小学生のグループや親子連れも多く見受けられました。印象深かったのは、満州時代に作られた石碑がわざわざ倒されて屋外で展示されていた事です。

 

 いよいよ最終目的地のハルピンです。731部隊の陳列館では、日本語オーディオガイドを聞きながら見学した後に、屋外に今も残る建物跡を見てまわりました。

 ハルピンは、ロシアの影響を強く受けた街。歩いている人の顔はアジア人なのに背が異様に高いことや、ロシアのマトリョーシカを売っているお土産屋さんが多かったり。

夜にもなると中央大街の歩行者天国は、週末と重なり身動きの取れない人・人・人!! あちこちで音楽演奏をしていたりと中国にいながら異国を感じる街でした。

添乗員 北畠

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 <今回参加頂いた方のアンケートからの抜粋をご紹介します>

 

 物言わぬ歴史の証人たちがたたずむ中国東北部の現場に立ち、多くの事を学んだ。これぞ ”百聞は一見に如かず”の旅の醍醐味。国家国防教育基地に定めて建設されたという新しい「侵華日本軍第七三一部隊罪証陳列館」。

 これだけの資料がどこにあったのかと思われる程の展示物に圧倒された。

時代が変わりこれまで口をつぐんでいた両国の生き証人の方々の証言に基づいて場面を具現化したり録画など最先端の技術を駆使して展示し外では、証拠隠滅の為に埋められていた場所を掘り起こして整備されて、ここでも南京大虐殺記念館同様、大規模な抗日的建造物としての存在を見せつけていた。

 「歴史を刻み込み、過去を忘れず、平和を愛し、未来を切り開く」ことを呼びかけていた。 そうでありたいものである。        貞松 淨子様